万世橋駅跡の引き込み線に酔う(完結編)
『モハようございます。』の「4章・分岐器」などで線路の面白さについていろいろと教えていただいたoomatipalkさんが、万世橋駅跡の画像をお送りくださいました。
最後に交通博物館へいらっしゃったときに、その屋上から撮影されたものとのことです。
よくこのブログにコメントを書き込んでくださるDK-Kawachiさんが、前回記事に次のような情報を寄せてくださっています。
万世橋駅跡の引き込み線は時々保線車両留置に使われており、2006年1月に交通博物館閉館前に行われた万世橋駅遺構ツアーでホームへ通じる階段から見た際は、保線車両が留置されていたそうです。
oomatipalkさんがお送りくださった画像と状況が合致しますね。
私も記憶が定かではありませんが、保線車両がとまっているなあと車窓から見た覚えがあります。
今でもこのように利用されることはあるようですが、かつての賑いを想像するに、少々寂しい感はありますね。
寂しいといえば、『モハようございます。』の「22章・線路配線図」で漣みさきさんがご提供くださった中央線の線路配線図をご覧になってみてください。
万世橋駅跡付近の線路配線を詳しく見ることができます。
この配線図を拝見して何が寂しいかと言うと、万世橋駅跡に残るホームの短さです。
漣さんの線路配線図では、ホームの位置や長さも分かるように記録されています。
万世橋駅跡のホームは、御茶ノ水駅や神田駅などと比べると3分の2ほどでしょうか、短いのです。
もちろん私は万世橋駅が賑っていた頃を知らないのですが、文献などを見ると、営業当時は利用客の多い重要な駅だったように想像できます。
昭和18年に営業を停止したものの、今も引き込み線やホームが残っているのを見ると復活できるのではないかと淡い期待を持ってしまいます。
でも、漣さんの線路配線図に書かれているとおり、ホームは短い・・・やはり遺構なのですね。
そう思うと、夢と現実の違いに寂しさを感じずにはいられません。
中央線の車窓から万世橋駅跡のホームを見ると、ひょいと飛び降りたくなりますが、DK-Kawachiさんが参加された万世橋駅遺構ツアーのときも、ガラスで仕切られホームへは上がることができなかったそうです。
万世橋駅跡は我々のすぐ手に届くところにありながらも遠い存在。
長い時間の流れに阻まれているかのようです。
でも、またそれが廃駅跡を追う楽しさでもあるのかもしれません。
ps.
私が最初に夢中になったテレビドラマはGメン75です。
滑走路を横並びで歩いてくるオープニングはインパクトがありましたよね。
Gメン75は7年間続き、半年後に再スタートしたGメン82を含めると、足掛け8年続いた人気ドラマです。
私が夢中になったのは、Gメン75がスタートしてから5年目、小学4年生のとき。
Gメン75を見れば見るほど、自分が知らないスタートしてからの4年間を覗いてみたくなるもの。
今ならたった4年前のことなどすぐに調べられるでしょうし、つい昨日のように感じるものですが、小学4年生にとって4年前という時間はとてつもなく高い壁のようでした。
当時のドラマを見ることはもちろん、写真すら見つけることができません。
図書館にある百科事典に載っている鎌倉時代よりももっと昔と思えるほどです。
当時はインターネットなどありませんから、歴代のテーマンソングレコードを捜し、そのジャケットになっている写真から想像したりしました。
スタート当初のメンバーには原田大二郎さん演じる関屋警部補がいたことが分かり、その写真から型破りな刑事であろうことが想像でき、強く憧れたものです。
今はCSで再放送されたり、DVDボックスが発売され、簡単にその4年間を見ることができます。
でも、当時レコードジャケットから想像した関屋警部補像があるからこそ、実際のドラマを見たときに感動も大きいのかもしれませんね。
そう考えると、時間の流れも素敵です。
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